2007年02月27日
【書評】 朽ちていった命―被曝治療83日間の記録
人間はミスを犯す、利便性(=功利性)とセキュリティは相容れない、という単純な事実に、いかに多くの人間が気付いていないことでしょう。
私事で恐縮ですが、私は通算20年IT産業の片隅で生きてきました。その間、自分も含めて、何人もの人間が、実に単純なミスを犯すのを見てきましたし、何故こんな風になることが予見できなかったのか、或いは、何故誰も止めなかったのか、と思うようなことも多々経験してきました。ロンドンで仕事をしたこともあるのですが、その時印象的だった出来事の一つに、某社を訪れた時、「(努力の結果)わが社では(指示書の)エラー率が5%まで落ちた」と先方が誇らしげに語っていたことでした。当初、「何だ、5%ということは、100件処理したら、5件間違えることか」と馬鹿にしていましたが、そのうち、英語には’within the range of human error’という表現があって、要するに「人間の犯すミスの範囲」ということなのですが、「人間はミスを犯す」という大前提となる考え方が背後にあることが分かってきました。ですから、前述した会社の人間も、「人間の犯すミスはゼロにはならない」という単純な事実を理解し、5%程度は仕方がないと判断していたのです。そして、この前提があると、ミスを犯した時に、どうやってその対応を行うのか、が次の策として自然に出てくる思考パターンになります。現在の日本の制度に広く欠けていると思われるのは、この思考パターンではないでしょうか。
本書は1999年9月30日に起こった、東海村臨界事故の犠牲者となった大内久さんの83日間の闘病と治療の記録です。優れた記録がすべからくそうであるように、書全体が、事実を、その時々に大内久さんの治療にあたっていた医師や看護婦の感情も含めて、事実だけを伝えようという姿勢で貫かれています。そうして、読者は、被曝がどういう結果を人体にもたらすのか、被曝者は死に至る前にどのような苦しみを受けるのかを、事実として受け止めざるをえません。詳細はあえて触れませんが、それが想像を絶するような苦しみであること、なおかつ、最新の医学と技術力をもっても、治療のしようのない病であることは、全ての読者が理解できます。この事実の前に、我々は慄然としますが、更に広島や長崎で被爆した多くの犠牲者の一人一人が、そして、詳しくは報道されていませんが、チェルノブイリ事故の犠牲者の一人一人が、大内さんのような苦しみを受けた後に死を迎えたことを思う時、怒りにも似た激しい感情が湧きあがってきます。その感情は、止めようもない涙となって、私の頬をつたいました。
「原子力防災の施設のなかで、人命軽視がはなはだしい。現場の人間として、いらだちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい」(本文より)これは、寝食を忘れて、治療にあたった前川東大教授の大内さんの死を発表した記者会見での言葉です。大内さんのご家族に直接病状とのその変化(悪化)を伝え、最後まであきらめなかった、否あきらめきれなかったご家族の思いに直接接してきた立場の方として、実は相当抑えた言葉だったのではなかったのではないか、と想像しています。この事故が、いかにずさんな管理と運用の結果であったものかは、本書を読むまでもなく、当時の記憶を呼び覚ますだけで十分なのですが、更に驚くのは、大内さんを始めとする作業員の方々が臨界事故の可能性について知らされていなかいまま、作業をしていたという事実です。可能性を知っていれば、或いは、気付いていれば、誰でもそれなりの対応を取るでしょうし、こういう事故は起こらなかったと思います。万一起こったとしても、死者は出さずにすんだのではないでしょうか。「馬鹿野郎!お前ら、人の命を何だと思ってるんだ!なんで、こんなになるまで、手を打たなかったんだ!」前川教授は、本当はこう言いたかったのではないでしょうか。
「人間はミスを犯す」、「利便性=功利性とセキュリティは相容れない」、という単純な事実に、いかに多くの人間が気付いていないことでしょう。悲しいことです。
(hacker)
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