2007年02月11日

【書評】 男たちの晩節 

短編の名手が情け容赦なく描く、終着駅手前の人生

松本清張という作家は、短編の名手という印象が強いのですが、この短編集で本質的には、凄い筆力の作家であることを再認識しました。7編の短編は、いずれも、人間の老いの醜さ、愚かさを情け容赦なく描いているのですが、その描写が凄いのです。

「安之助は歯が無く、ゆっくりと動かす口もとには内に入っている飯粒までがまる見えだった。それに洟が出るから絶えずふところから手拭を出してふいていなければならない。痰が詰まれば咽喉を鳴らす。咳といっしょに口の中の飯とおかずが食卓の上に飛ぶ。そんなことで子供が同席を嫌い出したのだが、息子の秀人もいっしょに食事するときは眉間に縦皺をよせて不快感を示した。」(『筆写』より)

これは、ほんの一例ですが、こういう日本語の文章で書かれた小説を読むのは久しぶりのような気がします。目指しているものが違うので、どちらが良いとか悪いとかはないのですが、『長崎くんの指』などと比較すると、その差は歴然としています。

ところで、小説でも映画でも演劇でも、物語のある芸術というのは、同じ人間であっても、接する時の年齢によって、受け止め方がかなり違うものです。個人的な体験を語ると、小津安二郎の『東京物語』を中学生で最初に観た時には、どこが面白いのだろう、と思ったものでした。もちろん、今では世界的な傑作だと思っていますが、あの作品を中学生で理解する、というのがそもそも無理なのでしょう。反対に、若い頃に初めて観たり、読んだりして、良かったと思える作品もあって、これも個人的な話ですが、映画ですと『冒険者たち』や『囁きのジョー』、小説ならば『キャッチャー・イン・ザ・ライ』という辺りが相当します。この分類でいくと、この短編集は前者に該当します。

私もそうですが、人生の半ばを過ぎた人間が読むと、この短編集に登場する人物たちは痛いほどリアルです。会社の名前と自分の力を混同している人間、会社での地位=自分の価値と思い込んでいる人間、自分には何の責任もないのに資本の理論でバッサリと切り捨てられる人間、定年まで務めること以外に目的意識がなく働き続けるサラリーマン等々、そういう人間を数え切れないぐらい知った後で、この短編集を読むのと、そうでないのとでは、受け止め方が違うのは当然でしょう。書く側にしても同じで、この短編集の中で、最初に発表された作品は『背広姿の変死者』(1956年)ですが、作者が47歳の時で、このぐらいの年齢にならないと、こういう作品群は残せないのだろうと思います。そして、そういう登場人物たちを、比類のないような筆力で描いた短編を集めたのが、本書なのです。

定年後も会社にいた時の地位に固執するしかない老人を語る『いきものの殻』、家族の誰からも愛されていない老人が愚かにも夢想する、醜い女中との恋を扱った『筆写』、美しいはずだった恋が生きながらえたばかりに暗転する『遺墨』、生命に執着するあまり悲劇を迎える町工場主の物語『延命の負債』、地方小新聞の広告部長の卑屈さと辛さがこたえる『空白の意匠』、自分の将来に絶望した中年男の自殺前の独白『背広姿の変死者』、定年後全く別の人生を歩もうとした男を描く、この短編集唯一のミステリーである『駅路』、いずれも素晴らしく、同時に痛々しい短編でした。

ところで、この本を読んでいて、まず頭に浮かんだ言葉は「老愚」なのですが、広辞苑で確認したところ、「老醜」はあっても、この言葉は日本語にはないのですね。不思議な気がしました。

(hacker)

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男たちの晩節
  • 著:松本清張
  • 出版社:角川書店
  • 定価:540円
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『男たちの晩節』という題名は、とにかく松本清張らしくない、彼は生前こういう安易な
[ 「想感」ブログ ]   2007年02月11日 20:42

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