2006年12月30日
【書評】 コレラの時代の愛
あなたは誰かを心の底から愛したことがありますか、あるいは、誰かに心の底から愛されたことがありますか?
50年以上も、別の男性と結婚した女性を待ち続けた男性の物語です。
まず、『コレラの時代の愛』というタイトルから話を始めると、「愛」に関してはEl amor と定冠詞を使っていることからして、特別な愛を描いた作品ではない、ということになります。不貞をはたらき続け、夫のものか愛人のものか分からない子供を身ごもる人妻を描いた、ゴダールの映画『恋人のいる時間』が、公開前の検閲によって、定冠詞のついた原題 La femme mariee (人妻)を、不定冠詞のUne femme mariee(ある人妻)に変えさせられたというエピソードからも分かるように、タイトル中の名詞に定冠詞を選ぶか、不定冠詞を選ぶか、場合によっては冠詞を付けないかは、作者の意識がかなり反映されるものです。ですから、少なくともガルシア=マルケスの意識としては、ここで描かれた、50余年にわたる愛の姿を、「コレラの時代」には、さほど珍しいものではなかったと考えているのでしょう。この「コレラの時代」とは、コレラが死の病であった20世紀初頭を挟んだ時代のことで、現代では「ありえない」物語なので、この時代に設定したと考えるのが一般的でしょうが、死にいたる病としての恋愛、又は、死にいたるまで癒されることのない病としての恋愛を、コレラに象徴させているとも理解できると思います。
物語の大筋を要約すると、次のようになります。主人公の男性は、お互いに初恋同士だった女性に、結婚の約束までした女性に、ある日突然理由もよくわからないまま(彼女にはしっかりとした理由があったのですが)拒絶されます。彼女は後に別の男性と結婚するのですが、彼は他の女性たちとの恋愛を経験しながらも、彼女が未亡人になるまで待つ決意をして、51年9ヶ月と4日後、実際に彼女の夫が事故死してから、再び交際を申し込みます。最初は頑なだった未亡人も、次第に打ち解けて、彼と一緒に大きな川を上り下りする船で旅に出て、そこで結ばれます。最後は、船会社の社長でもあった彼は、世間からの余計な邪魔が入らないよう、船に伝染病発生を知らせる旗を立て、「命の続くかぎり」川を上下するように命令するのです。
「ありそうもない」物語のように思えるかもしれませんが、果たしてそうなのでしょうか。私の持論なのですが、恋愛を分類すると、1.片想い、2.得恋、3.失恋に分かれます。1は説明するまでもないのですが、3は字から明らかなように、2の過程を経て成立するものです。一般的に、失恋の方が片想いよりはるかに傷が深いものです。まして、それが初めての失恋であれば、なおさらです。そして、この物語の主人公のように、時折とはいえ、相手の姿、しかも他人の妻となった相手の姿を垣間見ていたのでは、10年も20年も50年も差はなかったであろうと思います。失恋した相手が、他人と愛し合っている姿を見るほど、辛いものはないからです。
そうは言っても、50年という年月です。確かに肉体は歳月に逆らえません。主人公たちの肉体の老いの描写は、ある意味で、冷酷です。
「肩のあたりに皺がより、胸はたれ下がり、脇腹の皮膚はカエルのそれのように青白くて冷たそうだった。」
ですが、感情は歳月に逆らえるのです。感情の高揚に、時の流れは無関係です。この小説も、時間と時代を越えた、普遍的な愛の物語なのだと思います。
また、主人公たちの「最後」の船旅なのですが、彼は失恋直後、同じ航路の船旅に出ています。その時の旅で、彼女のためにとっておいた童貞を、誰だか特定できない女性に強引に奪われるのですが、それは世の中に女性は一人ではないという単純な事実を彼に教えることとなり、その後の50年を、自らも色々な女性を知りながら、彼女に対する想いを変えることなく、夫を持つ身である彼女の存在を受け入れられることともなった、再生の旅だったわけで、それを「命の続くかぎり」続けることになる結末は、何とも感動的です。船が旅をする川は、死体が時折川上から流れてくる死の川であるというのも、再生の裏にある死や破壊を暗示させて、感慨深いものがあります。
ところで、ガルシア=マルケスの文章なのですが、いつもながら、とてつもない真実を、実に短い文章で、あっさりと無駄なく、伝えてしまうのには、驚いてしまいます。二つだけ例を挙げます。
「一方彼は、彼女が(自分たちの町)へ戻ってくるまでの気の遠くなるほどの長い時間を、分刻みで数えながら小間物店の奥の部屋に吊るしたハンモックで悶々としていた。」
「際立って美しく、魅力的な彼女が街路の敷き石の上をヒールの音を響かせて歩いているのに、どうしてみんなは自分のように心を奪われないのだろう、スカートのフリルがため息をつくように翻るのを見て、どうして心が騒がないのだろう、揺れ動く髪の毛や軽やかな手の動き、黄金の微笑みを見て、どうしてみんなは彼女に恋しないのだろうと不思議に思った。」
誰かを心の底から愛した経験のある人ならば、誰もが、このような感情を経験したことがあるのだろうと思います。あと何分とジリジリしながら相手を待つ時間の長さ、相手の一挙一動が魅力的に思える瞬間…。こんな風に簡潔に表現できてしまうとは、何と素晴らしいことでしょう。
ガルシア=マルケスが生み出した、もう一つの傑作がここにあります。
(hacker)
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[ Gori -ふどうさんやのおやじ- ] 2007年04月05日 10:51
コレラの時代の愛著:ガルシア・マルケス出版社:新潮社定価:3150円livedoor BOOKS書誌データ / 書評を書く
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書評が遅くなってすみませんでした。『わが悲しき娼婦たちの思い出』では、ガルシア=マルケスの言いたいことを....
[ どちらでもいい ] 2007年02月10日 16:44
1. 光源氏は一人じゃない!!
著:ガブリエル・ガルシア=マルケス 訳:木村 榮一出版社:新潮社定価:3150円(税込み)コレラの時代の愛livedoor BOOKSで購入書評データ すごく古い文体で書いている。王朝絵巻のにおいをかんじたのだけど、ジェームズ・アイヴォリーなんかが描き出す格調の高い映像世界そ...
[ 雑木林からの便り ] 2007年01月09日 21:22



